正月の風物詩として定着した東京箱根間往復大学駅伝競走(通称:箱根駅伝)は、和水町名誉町民であり、「日本マラソンの父」と称される故・金栗四三氏が創設された大会です。 本町では、金栗氏の名前を箱根駅伝の歴史に刻むとともに、町のPRになればと考え、平成15年に関東学生陸上競技連盟へ申し出を行った結果、第80回大会から最優秀選手賞が設けられ「金栗四三杯」の贈呈がスタートしました。和水町が寄贈した「金栗四三杯」のカップは、金栗氏が1911年ストックホルムオリンピック国内予選会で、当時の世界最高記録を塗り替えて優勝し受賞された時のカップを複製したもので、毎回箱根駅伝の閉会式において和水町長から授与されています。 今年開催された90回の記念大会では、往路3区で先頭にたった東洋大学が往路、復路ともに制し、2年ぶりの総合優勝を成し遂げました。また、最優秀選手賞「金栗四三杯」は、最終10区で区間記録に9秒と迫る好タイムで区間賞を獲得し、復路新記録に貢献した熊本県上天草市出身の大津顕杜選手(東洋大学)が受賞されました。
第90回東京箱根間往復大学駅伝競走
箱根駅伝の歴史
箱根駅伝は1920年(大正9年)に誕生しました。創設者は金栗四三(1891~1983)。日本が初参加したオリンピックのマラソンランナーでした。1912年(明治45年)、東京高等師範(現筑波大)の学生だった金栗は、日本人初のマラソン代表としてストックホルム五輪に出場したものの、途中棄権に終わりました。その時の屈辱と経験をもとに、「世界に通用するランナーを育成したい」と、長距離ランナーのための大会を模索したのです。 そうした中、1917年(大正6年)、日本で初めての駅伝となる・・・