和水町の指定文化財と展示施設
最終更新日:2025年04月10日

 

指定文化財

 和水町には合計32件の指定文化財があります。

 指定別の内訳は、国指定5件、県指定10件、町指定17件です。

 内容は、添付の一覧のとおりです。

 和水町指定文化財一覧(PDFデータ)
  

江田船山古墳

 5世紀後半に造られた墳長62mの前方後円墳です。
 明治6年(1873)に地元の地権者によって発掘され、非常に豪華な副葬品が見つかりました。
 金製・金銅製の装身具や鏡、6面の鏡、武具、馬具など多くの副葬品の中でも、日本古代史上極めて重要と考えられているものとして、銀象嵌銘大刀があります。残存長91cmの大刀には、峰(刃と反対側の狭い面)に75文字が銀で象嵌され、倭の五王の最後の人物とされる雄略天皇(ワカタケル大王)の名や、墓の主と考えられる无利弖(ムリテ)、作刀した伊太和(イタワ)、文字を記した張安(ちょうあん)の4つの人名が刻まれ、この大刀を持つ者の権利を保障する内容が記されています。固有の内容を記した古い言葉として、古代史を研究する上でも貴重な文化財です。
 現地では、家の形をした石棺の実物を見学することができます。
江田船山古墳外観 江田船山古墳石棺

 

塚坊主古墳(装飾古墳)

 6世紀初頭に造られた墳長43.4mの前方後円墳です。
 江田船山古墳と同じ墓域(清原古墳群)に造られており、江田船山古墳の主の直系の子孫の墓と考えられています。
 中には横穴式石室が作られ、石室の一番奥に、石屋形という家形の棺を安置しています。
 特記すべきものとして、石棺の内側3面に、赤と白で、丸、三角、ひし形の装飾文様が描かれています(装飾古墳)。
 残念ながら盗掘を受けており、主だった副葬品は確認できていませんが、小さな鏡や馬具などが見つかっています。
 通常は保護のために施錠していますが、年に2回の熊本県内一斉公開、8月の古墳祭などで、中の装飾を見学することができます。
塚坊主古墳外観 石室装飾

  

江田穴観音古墳

 江田船山古墳のある清原せいばる台地から江田川を挟んだ諏訪原台地の南端(台地の斜面)にある古墳で、

 6世紀末から7世紀初頭に造られた直径約17mの円墳です。

 古墳の主体部は、複室構造の横穴式石室で、石室はすべて凝灰岩の切石でつくられ、屍床が奥室に3箇所、前室に2箇所設置されています。 

 金銅製杏葉・金環・勾玉などが見つかっており、京都大学文学部博物館に所蔵されています。

 石室は保存のため施錠してありますが、事前連絡のうえ見学(9時から17時)が可能です。

 和水町中央公民館(0968-86-2022)までご連絡ください。

 江田穴観音古墳

 

虚空蔵塚古墳

 清原古墳群内の前方後円墳です。

 古墳主体部は未調査ですが、周溝からは円筒埴輪や人物埴輪が出土しており、6世紀前半と考えられます。

 整備前は墳頂に虚空蔵菩薩がまつられていたことから、この名があります。

虚空蔵塚古墳

 

旧境家住宅

 1830年(文政13年)に熊本県玉名郡玉東町に建てられた民家を、昭和52年に移築しました。

 熊本県北部に特有の、床上部と土間部とが平行に並び、両棟の中間にできたV字状谷間に雨樋を設けて、

 雨水を前後に落とす「二棟造り型くど造り」です。また、東西両側面の外壁は、柱から離れた独立壁となっています。

 内部には、玉名地方の生活用具や農具が展示されています。

旧境家住宅-1 旧境家住宅-2

 

豊前街道 腹切坂

 江戸時代に熊本と小倉を結ぶ参勤交代で使用された、豊前街道の中でも屈指の難所であった「腹切坂」と呼ばれる急坂が残っています。

 地名の由来は、「人を殺して諸国を逃げ回った西国の武士が、仇とねらう若い武士から逃げられないと悟って、坂の途中で切腹した」など

 様々な言い伝えがありますが、「広い台地(原)の端(切り)にあたる」ことから名付けられたとも言われています。

腹切坂-2 腹切坂-1

 

清原石人(せいばるせきじん) 付 石製品一括

 石人とは、埴輪と共に古墳に並べられていた石の像です。 こうした石製品には、埴輪と同じように武器や威儀をあらわすためのものなどの器材や、人物、動物をかたどったものなどさまざまな種類があります。そのほとんどが九州で出土しており、古墳の主の権威の象徴として、なにか特別な意味があったものかもしれません。

 江田船山古墳に関係があるとみられる遺物として、古墳の北西に石人(実際には短甲型石製品)一体が以前から置かれていましたが、その後そこから腰掛け型石製品と家形石製品が出土しています。これらはいずれも欠損しているので、本来は江田船山古墳にあったのが後世に移動されたものと考えられます。
 これらの遺物は、肥後民家村内にある和水町歴史民俗資料館に展示してあります。

清原石人1 清原石人2

 

下岩官軍墓地

 明治10年に勃発した西南の役において、1ケ月に及ぶ戦闘の末戦死した、官軍将兵133名と軍夫16人が葬られています。戦死者の出身地は1都2府19県に及んでいます。

 なお官軍墓地の隣にある光行寺は、豊前街道の要所であり、江戸時代には参勤交代の際の細川藩主のお茶所でした。

下岩官軍墓地1 

 

トンカラリン

 江田船山古墳から続く清原台地東側斜面に造られた全長約450mにわたるトンネル遺跡です。

 元は自然にできた地隙(雨裂跡)ですが、人工的に加工し、部分的にふたを被せ、トンネルとしています。

 様々な説がありますが、いつ誰が何のために造ったのかは未だに謎のままです。現在は2016年の熊本地震の影響で、立入禁止となっています。

トンカラリン

 

展示施設

和水町で文化財を展示している施設は2か所あります。

和水町歴史民俗資料館

 隣接する江田船山古墳公園にある国指定史跡「江田船山古墳」から出土した副葬品(国宝)のレプリカ展示を中心に、町内から出土した文化財や、企画展を行っています。

 国宝に指定されている銀象嵌銘大刀などの出土品は東京国立博物館に保管・展示されているため、精巧なレプリカを作製して展示することで、古墳時代の地方豪族であった江田船山古墳の主が持っていた豊かさと権力を伝える展示内容です。

住所   熊本県玉名郡和水町江田302(肥後民家村内)

営業時間 AM9時00分~PM5時00分(入館はPM4時30分まで)

入館料  無料

休館日  毎週月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日)

     12月26日~12月31日

駐車場  無料Pあり(江田船山古墳公園の駐車場をご利用ください。)

資料館外観 資料館内部 出土品レプリカ
 

田中城ミニミュージアム

 旧春富小学校跡地(学校の一室)を利用したミニミュージアムです。

 ミニミュージアムの近くにある国指定史跡「田中城跡」のガイダンス施設として、史跡の概要をわかりやすく説明しています。

 田中城跡とは、肥後の国衆と呼ばれる地方豪族の一人である和仁(わに)氏の居城で、豊臣秀吉が九州を制圧した天正15年(1587)に勃発した肥後国衆一揆においては、戦いの中で最後の砦の一つになった激戦地です。

 展示では、戦いの様子をプロジェクトマッピングでリアルに紹介するほか、田中城跡から出土した遺物や、現地から切り取った製鉄炉跡などを展示し、古代から中世の地域の歴史をご紹介します。

 また、タッチモニターでは、和水町の様々な文化財や田中城の再現CGを見ることに加え、女性の目線から中世の戦いを見た映画『おんな国衆一揆』(三池崇監督制作、放映時間約60分)を観ることもできます。

 詳しくは、添付のチラシをご確認ください。


住所   熊本県玉名郡和水町和仁781番地(旧春富小学校内)

営業時間 AM10時00分~PM4時00分 (最終入館はPM3時45分となっておりますのでご注意ください。)

入館料  無料

休館日  毎週火曜日(火曜日が祝日の場合はその翌日)

     12月26日~1月4日

駐車場  旧学校グラウンド内に無料Pあり(大型バスは、道向かいの春富体育館駐車場をご利用ください。)

ミニミュージアム内観 ミニミュージアム内部(ジオラマ)


 


このページに関するお問い合わせ

社会教育課

TEL:0968-34-3047
FAX:0968-34-2033

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