正治2年(西暦1200年)12月4日、坂梨家の祖である坂梨弥五助は、土地鎮護と農耕開拓の守護神として、肥後一の宮阿蘇神社本宮より、御分霊を戴き、この吉地村に下り、山森阿蘇神社を創建したと言われている。
その時、供養者の一人として同行してきた坂梨七郎右衛門は、この塩井谷に住居を構え、農耕技術の普及に貢献した。
村人達は、七郎右衛門の地域では、毎年農作物の農作を祈願し、種の繁殖・増強とともに、生むは産むに通じ、子孫繁栄・安産・夫婦和合の神様として、蔭茎弱き人、子宝に恵まれない人、縁遠き男女、夜尿病、足腰の病等諸病に悩む人々それぞれに霊験があり、現に受児除災、蔭茎弱き人、足腰の病等著しき御霊験を受けて歓喜している事実がある。
信仰・祈願する人は、作りものの男根を奉納し、御願成就のあきつきには、男は白色、女は赤色の布に住所・氏名・年齢を書いてお礼参りをする風習がある。
住所:和水町西吉地
【交通アクセス】南関I.C・菊水I.Cから車で15分
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随喜の泉 |
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